1844年
イギリスでの産業革命が進む中貧富の差が広がったロンドンで過酷な労働にあえぐ若者を救済しようと青年ジョージ・ウィリアムスたちによりYMCAが誕生しました。
鎖国中の日本では、熊本藩士横井小楠は自宅に塾を開き政治思想家として活動し、坂本龍馬と勝海舟などといった幕末の志士たちに大きな影響を及ぼしていました。
1866年
小楠の甥二人を西洋事情を学ばせるため長崎から米国へ留学しましたが、その一人横井大平(たいへい)は留学中こころざし半ばで結核に倒れ帰国し明治維新に乗り遅れた肥後藩を立て直すため米国から南北戦争退役軍人キャプテン・ジェーンズを熊本へ招きました。
1871年
ジェーンズを唯一の教師として熊本洋学校が開校しました。
熊本洋学校は4年制全寮制で女性の入学も認め全て授業は英語のみで行われました。そのため若い生徒たちのなかには卒業時には米国カレッジ生徒の学力に匹敵する程の優秀さを示す生徒もおりました。
ジェーンズの高潔な人格とキリスト教信仰にふれた学生たちの一部にはキリスト教信仰にめざめます。
1875年
ジェーンズにより洗礼をうけた35名が花岡山へ登り「奉教趣意書の誓い」をたてるが、封建制が強い肥後ではキリスト教を未だ邪教とし、ジェーンズは解任、洋学校も閉鎖されました。
また、「奉教趣意書の誓い」を連ねた生徒たちの多くは迫害謹慎の身となりますが彼らの行く末を案じたジェーンズの計らいで京都同支社英学校へ移りました。
京都の町を闊歩する肥後出身の若者たちは後に宣教師たちにより熊本バンドと呼ばれるようになりました。そしてその熊本バンドのなかから日本でのYMCA運動での若き創始者たちが生まれる事になるのです。
1880年
小崎弘道は東京YMCAを24才で創立しました。
1882年
宮川経輝が25歳で大阪YMCAを設立ました。
1886年
原田助らの神戸YMCAの設立しました。
熊本バンドのメンバーたちが熊本洋学校で学んでいる頃江戸幕臣の子弟であった神田乃部は父親の勧めで若干14歳の時に米国のカレッジに留学しそこでYMCAの活動を知ります。
1897年
帰国後し日本のクリスチャン青年へ講演会を開きます。その若者たちのなかにキリスト教宣教に情熱を傾けていた小崎弘道ら熊本バンドのメンバーがおりました。
神田を通じて米国YMCAの事情を知った熊本バンドの小崎弘道(こざきひろみち)・宮川経輝(みやがわつねてる)・原田助(はらだたすく)達は日本でのYMCA運動の発足に想いいたりました。
1922年
オハイオ州トリードYMCAのポールアレキサンダー等によりイズメンズクラブを設立しました。
一方日本では大阪YMCAにて初代会長の宮川経輝牧師から成年時代に洗礼を受けた奈良傳(ならつたい)が米国YMCAでの研修中にワイズメンズクラブの活動を知る事になります。
1928年
奈良は帰国後日本で最初のワイズメンズクラブを大阪YMCAに発足しました。
しかし日本でのワイズ活動は第二次世界大戦時についたいと休止を余儀なくされます。
1947年
終戦後、都市部でのYMCAの復興とともに国際協会に復帰し、ワイズメンズクラブも次々に設立され、今日にいたっております。
History
ご挨拶
2016年4月に発生しました熊本地震では、多くのご支援有り難うございました。
その熊本で2017年6月に開催されます第20回西日本区大会の案内書をお送りします。
岩本理事期の1年をふりかえり、同時に熊本地震からの復興の様子を現地でご確認いただき、
そして参加いただくことで復興の大きな力になっていただきたく、熊本のワイズ関係者が総力を
あげて準備し、皆様をお迎えします。多くの皆様の参加を、心からお待ちしております。
第20回西日本区大会実行委員会
西日本区理事 岩本 悟
区大会実行委員長 入佐孝三